はて、どう違うのさ。漢字だけみると頼られるが付属しているのが信頼か。
ベースは信用なのかとも思うがどうなのか。
一番興味があるのは信頼されるにはどうすればいいのかなんだが、わからんな。
この人なら信じてもいいとかいうのはあまりにも外部からな感じがするし
そもそもそれだけだと信用になっちまう。
信じてさらに頼るというのはどういう状況なのか。
そういうことが意識的に行われることがありえるのか。頼るてのは無意識なもんでは?
そこら辺を考えると無意識な信頼が一番いいと思うんだが
となるとそういうものは名前がついていてもいいものなんだろうか。
信頼を得るなんてものは間違いで本当は信用、信頼していたいという希望ではなかろうか。
それを外から与えられる「信用、信頼」として錯覚しているのか。
今は不幸のどん底に入っているのでだめだめだ。
やることなすこと自分で文句をつけている状況なのでまったく事態が好転しない。
そもそもの始まりは地獄のテストが終わった日なのだ。何日だったかな。あぁ28日か。
その日からどうも気分が全然乗らなくなってきたんだが今はかなり山に登りつつある。
まさにチョモランマだ。
土曜日、つまり30日にダブルバイトだったんだがそれの二つともで
とんでもなく面倒くさいことが起こったのも重大な原因になっているし、
そこから派生する空想でさらにげんなり気分なんだ。
今何かご機嫌な花火を揚げられるようなら間違いなくそうしているに違いない。
そうでないことが救いかもしれないけども。救いでないかもしれない。
なんかいいことないかなぁ。まぁ小さい「いいこと」は全部打ち消されちゃうんだろうけどねぇ。
ひとまず冬の大地へ傷心旅行へ行くのがいいのかもしれない。
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